「氷川丸」と「マリンタワー」は、復活できるのか?

c0030379_8233145.jpg山下公園前に係留されている氷川丸

氷川丸は、横浜で建造され、横浜を母港に第2次世界大戦を挟んで30年間活躍した客船だ。現役引退後の1961年に横浜開港100周年を記念して山下公園に係留された。それ以来、船内見学の他、ビヤガーデン、パーティ、結婚式場などとして45年間、市民や観光客に親しまれてきた。
しかし、2006年12月25日、運営会社の「氷川丸マリンタワー株式会社」は入場者減に伴う経営悪化を理由に氷川丸とマリンタワーの営業を終了してしまった。そして、マリンタワーは横浜市に、氷川丸は日本郵船に譲渡され、現在、一般者が中へ入れなくなっている。
c0030379_8254323.jpg船内らしさをかもし出すキャビン

1930年に、横浜船渠株式会社(現三菱重工業株式会社横浜製作所)で竣工した氷川丸は、戦前の日本を代表する客船であり、現存している唯一本物の船だ。当時は最新鋭だった復動大型ディーゼル機関を搭載し、水密区画も採用され、造船技術が当時のまま保存されている。その造船史上の価値はきわめて高いと言える。
c0030379_8261965.jpg氷川丸のアール・デコ様式の階段

一等船室など船内の随所に、当時、最先端のデザインであったアール・デコ様式のインテリアも採り入れられている。「オーシャンライナー」が全盛であった時代の優美な船型と、一流シェフの料理と最高のサービスから、氷川丸は、「北太平洋の女王」とも呼ばれたそうだ。実は、僕はこの氷川丸で結婚式をあげている。航海中の船と同様に牧師の代わりに船長が立会人になり、甲板に出てその場に居合わせた乗船者みんなに祝ってもらえる。そんな昔の長期航海の船旅でしか味わえないような形の結婚式も、氷川丸では執り行われていたのだ。
c0030379_8264293.jpg結婚式にも使われた氷川丸のパーティルーム

多くの人がヨコハマに対するイメージとして持っている「みなと街」を今でも当時のまま残す場所は、ほとんどなくなっている。かつて栄えた「みなとヨコハマ」の表玄関であった大さん橋や山下公園周辺に残る港湾施設は建て替えられ、または移転してしまった。今やわずかに残る倉庫群も撤去されたり、さみなければ、赤レンガ倉庫のように外観は残されていても機能変更され、内装は完全に作り変えられしまっている。
c0030379_825878.jpgマリンタワーから見下ろした氷川丸

氷川丸を譲渡された元の所有者である日本郵船は、どうするつもりなのだろうか?民間会社なのだからいくら貴重な遺産と言われても、経営を圧迫させるようなものは維持できないだろう。しかし、かつての「みなとヨコハマ」を感じさせ、体験できる唯一中に入れる施設として残してもらいたいものだ。観光局客の多くは「みなとヨコハマ」を感じたいと思って来ているに違いない。横浜の年間観光局数は、3500万人を超える。その1割さえ氷川丸に乗船すれば、十分採算が取れるようになるのではないだろうか?
c0030379_8242763.jpg世界一高い灯台としてギネスにも認定されているマリンタワー

一方、マリンタワーに関しては、横浜市が「マリンタワー再生事業」に基づいて改修し、公募した事業者が借り上げて運営する形で開港150周年にあたる2009年春オープンを目指している。マリンタワーも開港100周年を記念して1961年に建設された。世界一高い灯台としてギネスブックにも認定されている。ただし、106mという高さは、灯台としては世界一とは言っても、MM21にある「横浜ランドマークタワー」の1/3程度の高さしかなく、けして高いタワーだとは言えない。
c0030379_8284150.jpgマリンターワー鳥類動物園の跡

展望台から、ベイブリッジ、山下公園、氷川丸、大さん橋などの横浜港の名所を一望できるのはよかったがそれ以外の魅力には欠けたように僕には感じられた。塔内に、「ブリキのおもちゃ館」や「鳥類動物園」を設置していた時代もあったが、今一つ話題になかったように思われる。鉄塔タワーとしの価値も、エッフェル塔や東京タワーよりも高さも低く、建設時期も新しいので話題性に乏しかったのも経営を苦しくさせた原因のひとつではなかったのだろうか。
c0030379_8272198.jpgマリンタワーから見た横浜トリエンナーレ2005の会場だった山下4・5号上屋

話題になって注目され、かつ横浜らしい場所として「マリンタワー」を再生させるにはどうすればよいのでしょうか?経営的に成り立たせるためにゲームセンターやレジャー施設にされるのもどうかと思うし・・・。そこで、ふと思い付いたのが、若者も引きつける横浜らしいものとして、「アートセンター」にしてはどうだろか?パリのポンピドーセンターのような先端芸術とともにセレクトショップやおしゃれなCDショップやアート系書店なども入る総合文化センターにするのだ。かつて、交通の要衝として栄えた「みなとヨコハマ」だが、時代の変遷を経て、山下公園周辺地域の港の機能は大きく変ってしまった。その歴史と、かつての「みなとヨコハマ」の栄華を氷川丸で再現して、新しい「みなとヨコハマ」の文化の発信基地として「マリンタワー」が機能するれば「みなとみらい」に奪われた観光客を山下地域に取り戻すことも可能になるのではないだろうか?
3年おきに開催される現在アートの祭典「横浜トリエンナーレ2005」の会場にもなった山下埠頭の上屋をマリンタワー展望台からなんとなく眺めていたら、そんなとりとめのないことを考えてしまった。
<文・写真:そういちろう>
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# by harasouichirou | 2007-04-24 08:28 | 関内

弘明寺観音と中里温泉は癒しの空間だった!

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アーケードのある弘明寺商店街

弘明寺商店街(弘明寺かんのん通り)は、その名のとおり門前町としての歴史と活気があることで有名な商店街だ。かなり前にアーケードが作られ、天候に左右されずに、常に人通りが絶えない商店街としても名が通っている。そこで、久しぶりにそんな弘明寺の街を散策してみた。ところが、なんだか以前の活気がなくなっているように感じた。そこで、店をひとつひとつを丹念にみてみると、昔はあった店がいくつも姿を消しているようなのだった。その代わりに、全国チェーン展開しているファーストフード店や薬局、100円ショップなどがあるのが目についた。
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テナント募集中の張り紙が・・・

しかも、ところどころに歯が抜けたかのように「テナント募集中」の張り紙があるではないですか。かつては、空き店舗を作らない商店街としてがんばっていたはずなのに・・・やはり時代の流れには逆らえないということなか。
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取り壊し作業が進むスーパーマーケット

アーケードを出た直ぐのところにあった大きなスーパーマーケットとパチンコ店・ゲームセンターも閉店していた。ちょうど内部の取り壊作業をしているところで、まさに時代の移り変わりを感じぜざるをえなかった。弘明寺商店街も他の商店街と同じように、このまま衰退してしまう運命なのだろうか。
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弘明寺観音の仁王門の脇の店も閉店していて、看板の文字が黒く消されている。

取り壊し中のスーパーマーケットの先には、かの弘明寺観音の仁王門と参道の入口がある。弘明寺観音は、正式には瑞応山蓮華院という真言宗の寺院だそうだ。言い伝えによると、奈良時代の養老5年(721年)にインドから渡来した善無畏三蔵法師(ぜんむいさんぞうほうし)によって開設されたとのこと。もちろん、横浜市内最古の寺院であるのは間違いない。そして、本尊の十一面観音立像は、ケヤキの一本づくりで、国指定重要文化財になっている。
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木々に囲まれてたたずむひなびた1軒宿の中里温泉

弘明寺周辺は、この弘明寺観音を中心として栄えた門前町だ。かつて、弘明寺観音は、広大な寺の敷地を持っていたらしいが、民間に払い下げて、商店街や公園を作ったそうだ。現在は、市が管理する弘明寺公園の裏には、「中里温泉」という温泉があるのを発見した。まるで、東北の方の山の奥にあるひなびた1軒宿のような風情の温泉だった。京急・弘明寺駅から徒いて10分ほどで行けるこんな市街地の真ん中にあるとは、とても思えない空間がそこにはあった。
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中里温泉の湯船

早速、中里温泉の中にも入ってみた。今では、地方でもなかなかお目にかかれない昔ながらの旅館で、障子とふすまで囲われ、床の間のある部屋の周囲には縁側もある。温泉は、沸かしてはいるものの湯が湯船から少しずつ溢れ出ていて、かけ流しっぽかった。弘明寺周辺には、たくさんの温泉が掘り当てられていて、本物の温泉を提供する銭湯が他にもいくつもあるそうだ。
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中里温泉の裏の竹林

中里温泉の裏から弘明寺公園の間は、深い竹林になっている。春には、その竹林で採れる筍で筍料理を供してくれるとのこと。これほど癒される場所が、こんなところにあろうとは本当に驚きだった。巣鴨の街が「とげ抜き地蔵」を中心に、昔懐かしい街として活気を取り戻しているように、弘明寺も弘明寺観音と中里温泉を中心に、癒しの街としうて再生できないのだろうかとふと考えてしまった。弘明寺商店街にも、もっともっと昔懐かしい品物が並び、手作りの品や食べ物を匠が作るところを見せてくれたりしたらいいだろうなあ。中里温泉の竹細工なんていうのもあってよいと思うし。アーケードの下で、竹とんぼや竹馬作りを子ども達に教える風景があったりしたら、それを見ているだけで、きっと癒されると僕は思うのだけど。いかがだろうか。
(文責・写真:そういちろう)
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# by harasouichirou | 2007-01-03 12:30 | 弘明寺

東横線廃線跡地

c0030379_021222.jpg東横線桜木町駅跡

東急東横線は、2004年2月1日、みなとみらい線の開通とともに横浜駅から経路を変えて乗り入れをし、元町・中華街駅まで直結するようになった。それにより、みなとみらいと旧市街地がつながり、人の流れも大きく変わったといわれている。そして、みなとみらい、中華街、元町には明らかに人が増えた。
ところが、忘れられているのが廃線となった東横線横浜駅=桜木町駅間だ。朝晩の通勤時間帯と週末には、入りきれないほどの人が溢れていた東急・桜木町駅は、今や閉鎖された駅舎のみが残り、がらんとしていた。駅舎もホームも廃線から1年以上経つのに未だに取り壊されず廃墟のようになったままだ。
c0030379_044757.jpg東横線桜木町ホーム跡

ホームの向かい側に建つビルに登って、上から眺めてみると「いつでも電車を走らせられますよ」と言わんばかりにホームもレールもしっかりと残っている。これをこれからどうしようというのだろうか。まさか、横浜⇔高島町⇔桜木町の短い支線として復活させようというのだろうか。それはどう考えてもありえないだろう。そのルートは、すでに市営地下鉄が走っているので、2重に走らせて採算が取れるわけがない。
c0030379_7272884.jpg桜木町のウォールアート

ホームのガード下には、ポップな壁絵が描かれている。東急線が走っていた当時は、いたずら描きが絶えず、汚かったのが今や見違えるようだ。これは、横浜市が作家を公募して、ウォールアーティストのロコサトシさんらに描いてもらったものだそうだ。実は、ホームや線路跡も市が整備して、なんと「自転車も通れる遊歩道」にする計画があるそうだ。
c0030379_7363861.jpgJR根岸線と国道16号に挟まれた東横線廃線跡地

遊歩道と言われても、JR根岸線の線路と国道16号線に挟まれた長細い線路を遊歩道にして、はたして人が歩くのだろうか?鉄道マニアは別として、ひっきりなしに走る電車を横目に、気持よく歩き続けることができるのだろうか。横浜駅~桜木町を仮に歩くと決めたとしても、どうせ歩くなら海に面したみなとみらいの中を歩く方が気持よいのではないだろうか。実際、今でも、ガード下は自由に歩けるようになっているのだけれど、休日でもほとんど歩く人はいないのが現実だ。自転車にしても、横浜~桜木町間を自転車で走る人がどれだけいるのだろうか。これも、みなとみらいは歩道も広いし、そちらを走った方が気持よいがよいと思う。
だったら、遊歩道などにせずに、いっそのこと人力車か馬車の専用道にしてはどうだろうか?横浜には日本の乗り合い馬車発祥の地といわれる馬車道通りもあるし、根岸には日本最古の競馬場跡もある。馬に関わる「歴史」がちゃんとあるのだ。横浜駅~桜木町駅を、みなとみらいの近代的な街並みを眺めながら馬車にゆったりと揺られるのもおつではないだろうか。さらに、野毛にある場外馬券売場(JRA)や野毛山動物園まで、馬車を延長して乗れるようにするのもよいアイディアだと思う。JRAや野毛山動物園が馬の飼育や調教支援をしてくれそうだし、馬に乗って馬券を買いに行ったり、動物園まで馬車で行く、なんて素敵な街ではないだろうか。大道芸の街、野毛に、またひとつ「芸」が増えるのも悪くないんじゃないかなあ。(写真・文:そういちろう)
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# by harasouichirou | 2005-05-15 15:15 | 桜木町

跡地の街?大船

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ルミネウィングもあるのに、なぜか殺風景な大船駅前

大船は、鎌倉市なのか?横浜市なのか?迷うのは僕だけなのだろうか。調べてみると大船駅のホームは、鎌倉市と横浜市で半分づつ分け合っている。駅で分からないならと、街を歩いてみると、鎌倉でも横浜でもなく大船独特の雰囲気がただよっているではないか。街を行く人通りも多くにぎやかなんだけど、なんだか混沌としていてカオスのような街なのだ。隣の駅の本郷台駅とも違うし、北鎌倉駅とも全く異なる街並みなのだ。それならこの際、大船市として独立してもらった方が僕としてはすっきりするのだが、どうなのだろう。街をひとつの方向に持って行くには、どうしても管理自治体が2つだとうまくいかないのではないだろうか。でも、それは市町村合併のこの時代に無理な注文なのだろうが・・・
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鎌倉女子大前公園の寅さんのタイル絵。

そんな大船を象徴する場所が、実はかつてはあった。それは松竹大船撮影所だ。撮影所のある街=大船は、撮影所のスタッフや関係者、役者やエキストラもたくさん街にたむろしていたはずだ。カオスの中にも輝きがあった。そんな時代があったのだ。大船の街を歩いていて、なにかが足りないと思ったのは、きっとそれだったのだ。
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信号機は今も「松竹前」となっている

それに、撮影所に併設された「鎌倉シネマワールド」もかっては人々を楽しませてくれていた。一般の人もそこに入れば映画の世界に入れたのだった。そのシネマワールドは、1998年に閉鎖され、最後まで残った撮影所の一部も2000年、鎌倉女子大に売却されてしまった。現在、松竹大船撮影所跡地は、イトーヨカードー、松坂屋、鎌倉芸術館、鎌倉女子大になっている。つい最近完成したばかりの鎌倉女子大は、撮影所に代わって大船の街の象徴になってくれるのだろうか。
c0030379_2344695.jpg(左写真)今も大船駅外れに残るモノレール・ドリームランド線の橋脚c0030379_23125492.jpg
(右写真)ドリームスポーツクラブも昨年12月12日を持って完全閉鎖となっていた

一方、大船駅西口はというと、東口の懸想とは打って変わって閑散としている。駅前から見える施設といえば、川を隔ててそびえ立つ大船観音以外ほとんどない。あるのは大きな柏尾川と山ばかりだ。そんな大船駅西口にもかつてとても斬新な施設があった。それは、モノレール・ドリームランド線大船駅だ。この幻のモノレールは「横浜ドリームランド」と大船駅を結んでいた。「横浜ドリームランド」は、2002年に閉園となっている。そもそもモノレールは、当初の設計ミスで運行していたのは1年ちょっとの間だけで、ほとんど運休線だったそうだが。それでも復旧の話は何度もあったようだ。最近の話では、1995年「横浜ドリームランド」を買収したダイエーは、1999年運転開始でHSST(浮上式リニアモーターカー)を走らせる計画になっていた。しかしその夢のような話も、ダイエーが経営難に陥り2002年にドリームランドの閉園とともに路線の廃止が決定されたのだった。
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閉園後のドリームランドに、「桜をご覧ください」と親切な案内表示がされていた

そう聞くと、閉園になった横浜ドリームランド跡地を見に行きたくなってしまった。モノレールには既に乗ることは不可能なので、ドリームハイツ行きのバスに乗る。30分近くバスに揺られていると「ドリームランド」というバス亭があったのでそこで降りてみた。そうしたら、目の前に「横浜ドリームランド」はまだあるではないか!「ドリームボウル」に高層の五重の塔のような「ホテルエンパイア」、「ドリームビル」には銀行も入っている。でも・・・近くに寄ってよく見ると「横浜銀行ドリームランド店」以外はほとんど廃墟と化していた。そんな廃墟の中の看板に、「桜をご覧ください」と新しい張り紙があるではないか!閉園したのに、中に入らさせてもらえるなんて。しかも、無料で。なんとも親切な対応に感激してしまった。ちょうど満開になった桜並木は、なんとも言えないくらいにすばらしかった。その壮観な桜吹雪は、涙なくしては見れない美しさであった。
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桜並木と廃墟となった21階建てのホテルエンパイア

閉鎖されたドリームボウルの事務所から出てきたおじさんに聞いてみた。「ここはこれからどうなるですか?」突然、僕が話しかけたので、おじさんは少し驚きながらも親切に答えてくれた。「私も詳しいことは分からないけれど、薬科大学になるってことだ。幸いホテルエンパイアの建物も校舎として使ってもらえることになったらしいよ。この桜並木も切らずに残しておいてもらいたいもんだね。」そうか、ここも大学のキャンパスになるんだ。正確には、横浜ドリームランド跡地の北半分は、現在、市営の公園墓地&野球場になるべく造成されていて、計画図面の看板も出ていた。そして、昨年12月までフットサル場を運営していた「ドリームスポーツプラザ」管理の南半分が、薬科大学のキャンパスになるのだそうだ。
大船周辺の撮影所と遊園地の広大な敷地は、どちらもこれから大学キャンパスになるのだ。これからますます少子高齢化が進み、大学運営も厳しいとニュースかなにかで聞いたような記憶がある。どう考えても今の学生が、都心郊外のこんなキャンパス周辺で生活をエンジョイするとは思えない。だいたい将来的に学生を集め続けることができるかどうかも定かでないのではなかろうか?それだったら、いっそのことキャンパスの中に撮影所と遊園地を再誘致してはどうだろう。もちろん、伝統もある地に復活させると言えば、学生のみならず少なからずいるかつてのファンやマニアの共感も呼んで、結構集客力もあるのではないかなあ。映像コンテンツ学科や集客プロモーション学科なんかも新設して、その実験・研究の場にしたら、もっと大船は活性化しないだろうか。満開の桜の花の下で僕は、またとりとめない妄想に思いをはせていた。
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# by harasouichirou | 2005-04-10 12:48 | 大船

桜木町ゴールデンセンターの復活はあるのか?

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桜木町ぴおシティ


東急桜木町駅が廃線になったといっても桜木町は、今でもJRと市営地下鉄の2線が通る主要ターミナルだ。ランドマークタワーやワールドポーターズなどのMM21地区への正面玄関でもある。しかも、日本の鉄道発祥の駅だったのだ。そのJR桜木町駅と地下道でつながり、地下鉄桜木町駅の真上にある「桜木町ぴおシティ」は、誰がなんと言おうと紛れもない駅ビルなのだ。
今でこそ日本一の高さを誇るランドマークタワーの目の前で目立たないが、地上10階地下3階のぴおシティは、36年前の建設当時は桜木町随一の高層ビルだったのだ。
今回、その「ぴおシティ」が現在どうなっているのかを探検してみることにした。まず目に付くのはコンビニの看板だ。駅ビルの1階にコンビニが入っているのは、最近珍しいことではないが、それ以外には小さな衣料品店が2~3店ある以外がらんとしている。元は店であったと思われる場所には、なぜか人力車が飾ってあった。
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1階に唐突に人力車が飾ってある


地階に降りると、さらに空き店舗が目立つ。ここは元・中華料理店、ここは衣料品店だったのだろうと、消された看板や装飾の跡でなんとなく元あった店が偲ばれる。それが、あたかも生え変わり期の小学生の乳歯のようにボロボロと抜け落ちているのだ。それを隠すかのように、ぴおシティ主催のいつ終わるか分からない「昔の横浜写真展」が開催されていたりした。
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空き店舗を活用した「昔の横浜写真展」


極めつけは、空き店舗を活用した卓球場だ。ふつうの店舗の隣に卓球場が作られいて、ほのぼのと親子で卓球を楽しんでいたりする風景に出くわした。「ここは、温泉旅館なのか?」とおもわず錯覚に陥ってしまう。
次々とくり出される空き店舗活用アイディアには敬服するが、これでも駅ビルと言えるのだろうか?実際、もっともっと大胆な店舗活用策も進行していた。地下1階に、今はやりの100円ショップ「ダイソー」の大型店舗をオープンさせて、それなりに賑わっていた。さらに、9~10階には場外車券場「サテライト横浜」まで誘致していた。
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空き店舗を活用した卓球場


こうなったら、とことん「そっち」の道へ行くべきだと僕は思う。そうなのだ!よく考えると、ここはMM21の玄関というよりは、横浜のカオス=野毛の玄関口ではないか。ダイソーなんていう小ぎれいな店舗ではなくて、いっそのこと蚤の市や骨董品やバッタ品を売る店や露天商街にしてしまってはどうだろう。横須賀のどぶ板通りや上野のアメ横通りのような感じにすれば、あやし楽しいではないか。地下の飲食店街もこの際、日本中の屋台を集めてはどうだろうか。かつて横浜西口にたくさんあったおでん屋台や夜鳴きラーメンを再現させてしまうのはどうだろうか。新橋のガード下や新宿ゴールデン街のイメージでもよいと思う。
そう言えば、「ぴおシティ」は、かつて「桜木町ゴールデンセンター」という名称だったそうだ。古き良きゴールデンなキラキラした時代を彷彿とさせる、そんな街が再現できたら、さぞかし楽しいだろう。
そう考えていたら、なんとエレベーター乗り場の真新しい案内板に「桜木町ゴールデンセンター」と書かれているではないか!そうか、きっと密かに「桜木町ゴールデンセンター」を復活させようとビルオーナーも画策しているに違いない。そうそう、「ぴおシティ」のオーナーは、比較的最近、三菱地所から地元野毛の資本に変わったのだそうだ。
そんな夢のような大きな期待をしながら、次回、「桜木町ゴールデンセンター」の取材に来れる日のことを考えながら、僕はひとりわくわくしながら「ぴおシティ」を後にした。
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「桜木町ゴールデンセンター」と書いてあった!


(写真・文:そういちろう)
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# by harasouichirou | 2005-03-21 08:04 | 桜木町

なぜか京都

c0030379_1215627.jpg京都三条ラジオカフェ・ライブハウス(1928ビル)

京都という街の気質は、歴史を重んじる一方で新しいものを取り入れるのが早いと言われる。古い「町屋」の木造家屋をいつまでも大切に使い続けたり、いくつもの社寺が世界遺産に登録されたりもしている。それなのに、超近代的な高層駅ビルを建ててしまったり、街中どこでもインターネットにつながるユビキタス社会構想を進めていたりする。若者が集まるお洒落なお店が集中しているのも古い町並みに隣接した「三条通り」だ。その中でもひときわ目立つのが、1928ビルだ。1928年に建てられた元新聞社社屋だった重厚なビルをそのまま、カフェ、ライブハウス、ホール、ギャラリーにしている。
c0030379_1241945.jpg京都三条ラジオカフェ・スタジオ

1928ビルでも特に注目なのが「京都三条 ラジオカフェ」だ。カフェの隣ガラス越しに本物のFMラジオ放送スタジオがある。日本で初めてNPOが放送免許を取って運営するコミュニティFM局なのだそうだ。これがまたユニークなのは、番組で喋っている人がギャラをもらうのではなく、お金を払っているということだ。そのお値段はというと3分番組で1500円。おこ使いで買える価格にしたのだそうだ。スタジオの中を覗かせてもらうと、ちょうど「難民ナウ!」という番組の収録をしていた。この番組を毎週買って制作しているのは、宗田勝也さんという個人だった。たった3分とは言え、日本初の難民専門番組だそうだ。「難民に関する出来事を天気予報のように普通に伝えたい」と宗田さんは語る。そんなユニークなラジオを聞きながらカフェが楽しめるのも、京都ならではといえるだろう。
c0030379_1263858.jpg京都タワー

ところで、ふと考えてしまったのだけど京都のシンボルってなんなのだろう。金閣寺と銀閣寺、東本願寺と西本願寺、どちらかにしろっていわれると迷ってしまうものばかりだ。そう思いつつあたりを見渡したら、ありました。ありました。あの巨大なローソク型の京都タワーが目の前に。確かに京都の街中どこからでも見えるランドマークといえるのはこれだけだろう。それなのに東京タワーやエッフエル塔の様に注目されないのはなぜだろう。これにはなにか秘密があるはずだ。ゲソクラブとしてはこれは探求せねばならないだろう。
c0030379_1283284.jpgたわわちゃんのポスター

京都タワーは、京都駅の目の前で、しかも地下道でつながっている。なんと便利なんだろう。しかも、京都タワーホテルというホテルが管理運営していて、1・2階はショッピングセンターになっている。というと、まるで新横浜プリンスホテルみたいなのを想像してしまうだろうが、実はそれとは全く正反対の単にボロいビルだった。いやいや、「単にボロい」のではなく、とても不思議な空間が作りだされていたのだった。まるで昭和30年代に撮られたセピア色の写真が、そのまま再現されているような「京都タワー名店街」と称するお土産物屋コーナーが1階にある。その入り口に貼られていたポスターがまた冴えていた。「京都新聞に載っちゃいました<たわわちゃん>」ってどういうこと?
c0030379_1294639.jpgゲームセンター

京都タワーの展望台に上るには、専用エレベータに乗る。ちょっと左右に揺れながら、大きな音とともにゆっくりと上り始めるエレべーターは、これまた時代を感じさせる。エレベーターガールが同乗しているのに、なぜか大きな音でテープの案内が流れる。展望台に着くと入場券と一緒に渡された占い割引券が使える占いコーナーがある。それから、けたたましい音のゲーム機や怪しい展示物が置いてあったりする。舞妓さんらしい格好をさせたマネキンや昔の西陣織らしい再現もあったりする。
c0030379_130981.jpg京都タワー大浴場

さらに京都タワーの地下には、銭湯まであった。24時間いつでも入れ、終電を乗り過ごしたサラリーマンなどが朝まで入っているよくある駅前サウナではない。 「タワー浴場」という昔ながらの銭湯なのだ。しかも、営業時間が中途半端なのだ。午前7時から午後8時半まで。こんな時間に誰が利用するのだろうか?駅前で朝7時から銭湯に入る人って、いったいどんな人なのだろう?
こんなものが京都駅の駅前に存在し、京都の街中を見下ろしていること自体がなんとも不思議でならない。それを許してしまうのも京都の気質のひとつなのかもしれないと思ってしまった。
<文・写真:そういちろう>
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# by harasouichirou | 2005-03-05 20:10 | 番外:京都

さらばマイカル本牧

c0030379_716566.jpg歳月を感じさせるマイカル本牧5番街の外観
本牧は、戦後長らく米軍の接収地となり、駐留米軍との交流により、ジャズを始めとしたアメリカ文化の影響を受けた独特の横浜文化を生んだ土地だ。40年を経て米軍から返還された本牧は、再開発され1990年にオープンした「マイカル本牧」を核として生まれ変わった。元の地主に土地と住居が返還されただけでなく、高級住宅街や億ションが整備され、お洒落な街が出現した。
当時、まだ20代だった僕は、5番街にあったスポーツクラブ・アクラ本牧の会員になり、愛車のユーノスロードスターで毎週通い、5番街の高級ブティクや沿道で開催されていたフリーマーケットをぶらぶらと楽しんでいたのを思い出す。マイカルに身を置いているだけで、なんだか自分がキラキラと輝いているような、そんな気持ちになったものだった。
c0030379_7185489.jpgマイカル本牧5番街の閉鎖された店舗
しかし、いつしか僕はアクラ本牧を退会し、ロードスターも売り払い、マイカル本牧にはほとんど来なくなっていた。今、思えばあのころはバブル経済だったのだ。
その後、マイカル本牧は、減少する来場者を食い止めるためにテナントを入れ替え、ゲームセンターやシネコン、キッズセンターなどを誘致する。しまいに、パチンコ店まで作って粘るが、2002年ついにマイカルグループは倒産する。スポーツクラブはコナミに、スーパー部門はイオングループに、シネコンはムービックスに身売りされ、営業は継続されるが衰退を止めることは既に誰にもできなかった。
c0030379_736711.jpg残る店舗にも閉店セール中の看板が・・・
南欧風のゆったりとした空間づくりで当時注目を集めた5番街も次々と店舗が抜けて歯抜け状態となり、今では、営業を続ける店は各階に2~3店残るのみとなった。その多くも閉店セール中のところばかりだ。既に全面閉鎖も秒読みの段階に入っている。
c0030379_7323468.jpgゴーストタウンと化したマイカル本牧5番街
特に、最近出店したばかりのユニクロまでもが、閉店していたのは衝撃的であった。マイカル本牧5番街4階のゲームセンターや3番街のキッズセンターも閉鎖されたままになっている。まだ、残っているのは2番街のスーパーマーケット・サティと5番街6階のコナミスポーツクラブ、シネコン=ムービックス本牧だけだ。ムービックス本牧は、シネコンなのに空いていて、駐車場もあり便利なので、僕も、最近ときどきは来るようになっていたのだが・・・

c0030379_7282477.jpg解体される「ホテル・ルファール」
しかし、5番街がこうもゴーストタウン化すると映画を見に来るのもはばかれる。オープン当初から本牧にホテルの需要があるのかと冷ややかな評価の多かったホテルルファールは、無残にも取り壊されていた。ここまで来るともうゴーストタウンごっこをする以外ないだろう。パティオがあって、スペインの街並みを再現したというマイカルの遺跡発掘をするのだ。「おーこんなところに、使い古されたレジの山がある!」「ここはかつて従業員休憩室だったのだろう。」とかウンチクを披露しながら歩くのだ。

c0030379_7344685.jpg閉店した店のレジが集められていた
これからの本牧の再生は、どう考えてもかなり難しい。今更、アウトレットセンターにしても、場外馬券売り場を持ってきてダメだろう。路面電車を復活させようという市民運動もあるようだけれど、鉄道一本で再生させることは不可能だと思われる。それなら、いっそのこと逗子で反対運動が盛んな、米軍住宅を本牧に再誘致してはどうだろうか?本牧の再興は、アメリカ文化で図るしかないのではなかろうか。
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横浜ロイヤルホテル
古き良きアメリカを再現する街にしてはどうだろう。アメリカ開拓時代の街を再現するのだ。映画も西部劇専門にして、バー、道具屋、仕立て屋、床屋などを揃え、街全体を開拓時代にしてしまう。セットではなく、本物の街にするのだ。交通機関も幌馬車と開拓時代の蒸気機関車を復活させる。保安官を置き、早打ち決闘ゲームに参加もできる。カジノもあっていいし、カントリー音楽やラインダンスショウもいつもやっている。
いきなり、舞浜に作ったデイズニーランドや大阪に出現したユニバーサルスタジオと違い、刻まれた歴史と文化がある本牧だからこそ、本物のアメリカが作れるのではないだろうか。本牧には既に「自由の女神」も立っているではないか。
(写真・文:そういちろう)
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# by harasouichirou | 2005-02-20 13:00 | 本牧

ハマゲソクラブ港南台を行く!

c0030379_7523353.jpg高島屋もある港南台駅前の風景

港南台駅前には、高島屋やダイエーのほか、ミニシアターも備えたショッピングセンターがあり、かつては「横浜の田園調布」とも言われた閑静な住宅街が駅周辺から広がる。
と言っても、港南台の開発の歴史は浅く、30年ほど前までは、一帯は「たぬき」しか住まない里山だったそうだ。だから、今でも夜になると住宅地の中にさえ「たぬき」が出没するという。
このままの展開だと、ジブリの「平成ぽんぽこ合戦」になってしまうので、軌道修正をすることにする。
c0030379_754329.jpgホタルも生息する「小いたち川」
港南台駅から15分ほど歩いたら、上郷高校に着いた。小高い丘の上に建つ新設高校らしいきれいな校舎は、まるで青春ドラマに出てきそうな感じだ。その高校の眼下に「小いたち川」と呼ばれる小川が流れている。春になるとこの辺りに「ホタル」が飛び交うそうだ。港南台駅の直ぐ近くにホタルが生息しているとは驚きだ。
この「小いたち川」の上流には、瀬上池があり、そこから横浜最高峰である「円海山」を中心とした横浜最大の里山(緑地帯)につながっている。
c0030379_7572285.jpg横浜最高峰「円海山」からの眺め
「円海山」は、横浜最高峰(153m)とはいっても、横浜ランドマークタワー(296m)より低い。(これは「円海山」の低さの例えではなく、横浜ランドマークタワーがいかに高いかの例えだった。)
その横浜最高峰に向かって、さらに15分ほど登ったのだが、頂上がどこだか分からない。電波塔がいくつも立っていて、それぞれの塔の周りは、高い柵が巡らされている。そして、「危険!」だの「立ち入り禁止」などの看板が立っている。そうか、電波塔は、テロの攻撃目標になりえるからなのだろう。やたら厳重で、看板もなく管理者名さえ書かれていていない塔もある。ここから電波塔の中に入って、細工を加えれば「TV放送ジャック」なんてことも出来てしまうわけだ。ということで、とうとう頂上はどこだか分からずじまい。でも、眼下に広がる横浜の街の眺めはよかったからよいことにしておこう。
c0030379_7565258.jpg小さなテロリスト「タイワンリス」
円海山から降りる途中で、隣の藪からガサゴソ音がした。「ついにテロリストが現れたか!」と思って観念していたら、姿を表したのは小さなテロリスト「タイワンリス」だった。
このタイワンリスとアライグマが、最近、鎌倉から里山を伝って港南台あたりまで進出しているそうだ。彼らは、本来日本にはいないはずの動物で、ペットとして飼われていたものが逃げて繁殖したらしい。そして、タイワンリスもアライグマも日本の作物や樹木を食い荒らしているそうだ。そう聞くと、本来かわいい「リス」が、憎たらしく見えてきた。
c0030379_756207.jpgひっそりとたたずむ「上郷フィールドアスレチックコース」

さらに、円海山の麓まで降りると、上郷フィールドアスレチックコースという小さな看板が見えてきた。「小いたち川」に面したこん盛りとした小山に、ひっそりとある。写真を撮ったら、オーナーが出てきて「なに撮っているんだ!」と怒鳴られてしまった。苦し紛れに「横浜ゲソクラブの取材なんです。」と答えると、この地域のかつての道路開発の癒着の話や行政機構の非効率さについての話などを延々とされてしまった。このフィールドアスレチックコースは、全国でも珍しい純民間運営の施設で、オーナーが地域の為に設置しているそうだ。大人700円(小学生500円など)でも、施設の補修費も出ないとか。それは、宣伝をしていないからで、誰も知らないからではないかなとも思えた。たぶん、直ぐ近くの港南台の住宅地に住んでいる人でも知らないのではないか、と思えるくらいひっそりとした不思議な施設だった。
c0030379_7574391.jpg赤色灯がくるくる回る「防犯パトロール隊詰所」
横浜環状4号線沿いに、フレンチやイタリアン、スペインといった個性的で小洒落たレストランが点在すると噂の「小山台」に向かった。すると、レストランもさることながら、赤色灯がくるくる回る、ちょっと不思議な入口のない交番が目に飛び込んできた。よく見ると「防犯パトロール隊詰所」「警察官立寄所」と看板に書かれている。そして、右端に「日野南連合自治会館」と書かかれた小さい看板も発見した。中に入ると、なんと、普通の小奇麗な自治会館で、小部屋がいくつもあり、学習会や集会が開かれていた。ちょうど「ひのみなみパソコン相談室」が開催されていて、ボランティア講師が、マンツーマンでユーモアを交えながら熱心に教えている姿は、駅前パソコン教室ではありえない光景であった。
そろそろ外へ出ようとしたら、「なんの御用ですか?」と尋ねられてしまった。不審者として捉えられて、警察に差し出されでもしたら堪らないので、また取材と称してお話を伺った。最近、空き巣など犯罪が増え、また、ナイフ男が学校に侵入したなどの物騒なニュースも多いので、自治会で地域パトロールを始めたそうだ。犬の散歩を兼ねてのワンワンパトロールや健康ウォーキングを兼ねてなどパトロールが負担にならない工夫もしているそうだ。しかも、近いうちに民間パトカーも導入する計画だとか。
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日野南連合自治会会館の「ひのみなみパソコン相談室」
港南台は、確かに便利で、自然に恵まれ、しかも、安全・安心を自ら作っている地区で、住むのにはよいところだとつくづく関心させられた。しかし、普段、観光で歩く人は皆無の街であり、横浜ゲソクラブが開拓した価値はあったと自画自賛して、今回は、締めたいと思う。
(文・写真:そういちろう)
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# by harasouichirou | 2005-02-14 23:15 | 港南台

江の島探検

c0030379_0585826.jpg世界にだだ一つのなぞの乗り物「エスカー」
僕は、江の島に15年ほど前に行ったことがある。当時は、展望塔がボロボロの鉄塔で、巨大な回転ジャングルジムのようだった。大きな螺旋階段を登るのだが、風もないのにグラグラと揺れ、幼少のころに乗った回転ジャングルジムに乗っている気分になったものだ。
それと、エスカーの入り口が怪しいサーカスの見世物小屋のようで、実際、入場券に宝石プレゼント券が付いていた。頂上で宝石をくれるのだが、それを有料で加工してくれるサービス付きであった。加工はいらないというと宝石はくれないという、いかにも見世物小屋風な演出もされていた。湘南海岸から「江の島」へ橋を渡ると1960年代にタイムスリップする場所であったのだ。
15年ぶりに来た「江の島」は、どうかというと。シンボルタワーもエスカーも改築され、新生江の島になっていたが、相変わらずタイムスリップ感覚を味わえる場所であった。
エスカーは、すっかりリニューアルされて、きれいになってはいたが・・・そこはかとない怪しさが漂っていた。単なるエスカレーターなのに有料(350円)で、しかも、外の景色が全く見えない。本来、窓があるべき位置にあるのは、コーラや明治製菓の電光看板だった。他に見るのもないから、いくつもの広告看板を見ながら、いつの間にか頂上に着いていた。
c0030379_131100.jpgリニューアルされた江ノ島展望塔
展望塔は、エレベーター付きの近代的なシンボルタワーに変身していた。しかし、展望塔が立つコッキング苑という庭園にある「松本楼」と「マイアミビーチ」には違和感が。「東洋のスイスといわれる松本と東洋のマイアミビーチといわれる藤沢は、日本を代表する観光都市として姉妹都市となった。」と言われても・・・僕は松本市に5年住み、スイスに行ったこともあるけど???と怪訝に思いながらマイアミビーチに行くと眼下に見える藤沢の海岸がマイアミビーチに見えてくるから驚きだ。
c0030379_1354312.jpg藤沢のマイアミビーチー
江の島神社には、「天妙音弁財天御尊像」がいらっしゃる。この弁財天像の特徴は、女性の全裸像で「女性の象徴を全て備えた大変珍しい御姿で、鎌倉時代中期の傑作とされています。」と案内が流れていた。だから、座布団に異様に深く腰掛けているのか?と妙に感激してしまった。ここは、けして秘宝館ではなく、うやうやしい神社なのだ。
覗き見やいやらしい気持ちで来てはいけないところなのだった。
c0030379_2141136.jpg天妙音弁財天御尊像
最深部にある岩屋にも、いかにも作り物の夜光虫やドラゴンが居たりして変だったし、「江の島」は、湘南海岸とは異質の場へタイムスリップできる不可思議な場所であった。猫とトンビがたくさんいて、餌付けされているのも楽しかった。
(文・写真:そういちろう)
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# by harasouichirou | 2005-01-04 23:51 | 江ノ島